私の父
あなたのお父さんはどんな人ですか?
私の父は軍雇用員で父の親友もアメリカ人、父の前職も外国船の乗員であったこともあり、小さい頃から私の周りにはアメリカ人がいました。そのせいか海外への憧れがずっとありました。
20歳になり酒を飲めるようになると外国人の多いディスコ、今でいうクラブに通い始め夜明けまで踊りあかす日々を送ってました。そんなある日背の高いスラッとした1人の日本人にナンパされましたが、その頃は日本人に興味がない私は無視していまた・・・あまりにしつこいのでちゃんと話を聞くと彼は英語を話しておりアメリカ人とフィリピン人のハーフだったのです(笑)
何度かデートをしてお付き合いする事になりわくわくドキドキ楽しい日々が始まりました。
外国人男性の魅力的な所
・レディーファースト
・愛情表現、スキンシップ
・サプライズ
を自然に出来る。
是非、日本人男性にも身につけて頂きたいですね。それができると女性はきっといちころですよ。
日本人であった父が、モテていたのもきっと外国人男性のように振る舞っていたからだと思います。
外では・・・(笑)
軍人であった彼は1年後転勤になり私達の楽しかった日々にピリオドをうちました。
ワシントンDCへの旅立ち
短大を卒業後、皆が就職する中私は憧れであったアメリカに行くことを決めました。
聞いたことありませんか?
「運気を上げたいときは旅をする。」
また、10代の頃自分自身にコンプレックス感じており、全てにおいて中途半端な自分が嫌いでした。
いわゆる自己肯定感が低く自己愛にかける私(><)
自己肯定感・・・自分の存在を認め、自分は自分のままで良いと思える心の状態
自己愛・・・・・自分自身とその能力を信頼し自信を持ち誇りを持つこと、自分が好きという感覚
大きく環境の違う所に行けば、自分自身を変えることができるんじゃないかと・・・
海外への希望を胸に‼
ホームステイ先はワシントンDC、ファミリーは父の友人であり、ご夫婦と2才の双子ちゃんが私を快く迎え入れてくれました。着いて翌日パパさん指導のもとすぐに運転を教えられ、1週間後から1人で運転しコミュニティカレッジに通い始め学校が終わるとベビーシッターさんの家に子供達をお迎えする日々が始まりました。
メキシコ人のアイリーンと友達になり彼女の友人、メキシコ人・中国人・インド人・日本人を紹介してくれました。彼らが乗ってきた車は高級車で私は驚きました。夜になると皆でクラブに行き楽しく過ごしました。言っときますが、私は英語ペラペラではありません。かなりのカタコト(笑)なんとでもなるものです。
ケセラセラ(*父の好きな言葉)・・・なるようになる
メジャーリーグも見にいきましたし、車で何時間もかけてニューヨークにも行きました。飛行機でフロリダの本場ディズニーランド、いとこがいるサンディエゴも行き、そこでは以前お付き合いしていた彼とも感動の再開が出来ました。
ホームステイ先のパパさんがとても寛大な方で私にいろんな経験・体験をさせてくれました。
お陰様でとても充実した日々を送る事が出来ました。
私が出した答え
結局、私は英会話を聞き取れる様になったかな?相変わらずカタコト(><)喋れる様になったわけでもなく帰国。中途半端な私(涙)
環境を大きく変えても私は変われなかった・・・
アメリカに行ったことを後悔してる訳ではない。むしろ行ったことで1つの答えが出たのです。
と・・・今は思える。あの頃はさらに自分自身にがっかりしましたが。
「待てば海路の日和あり」
人生には壁が何度も出てくる。何度この世から消えたいと思ったか・・・
でも今ここにいる。今こうしてブログを書いている私に感謝する。
私は変われました。今ではダメな自分も受け入れ自分のことが大好き💖
自己肯定感高く、自己愛に溢れる私に変われました‼
どうしてあんなに自己肯定感低く、コンプレックスを感じていたのか考えてみると、私は物事をネガティブに捉えやすく、いつも周りの目を気にして他人と自分を比較しコンプレックスを感じ自分自身に自信をなくしていました。
また、自己肯定感が低いのはかなりの部分育ってきた環境・親からの愛情などが密接に関わっている事も理解しました。
スピリチュアル的に捉えると自己肯定感がどんなに低くてもその経緯を見直し、過去に起きたことの意味付けを変えることによって自己肯定感を瞬時に変えることが出来るのです‼
Happy&Lucky
次回も経験・体験を交えて役に立つ情報お伝えします。お楽しみに‼